こーじ通信

No.97 高次脳機能障害のある方
2019年4月

 「高次脳機能障害者支援法」(仮称)を考える中で、私は「認知症の人基本法」制定のための議論を参考にさせてもらっています。7年ぐらい前から「認知症当事者勉強会」としていろいろ議論を重ねてこられた中から、基本法の制定を考えてきています。その中で「認知症の方」という名称についての議論が、私の中ではずっと残っています。
 平成29年5月に自由民主党の一億総活躍推進本部から出された「一億総活躍社会の構築に向けた提言」の中に「国家としてMCI(軽度認知障害)も含めた認知症を、生活習慣病予防等を介して減らしていく戦略を確立する。認知症対策基本法の必要性を検討する」と書かれています。この勉強会では、予防すること、数を減らすことが「対策」という言葉になっていて、それで良いのか?という議論になりました。
 公明党からは「認知症施策推進基本法案 骨子案」(平成30年9月)に出された名称が「施策推進基本法」、そして内容的にも「本人の意志を尊重」が掲げられています。
 認知症を「対策」として捉えると「悪いものだからやっつける」という考えになり、認知症の人は問題だから「対策」の対象にする、という誤解を生むことになってしまいます。この勉強会では法律の名称も議論され「認知症の人基本法」にする、とされました。
 前置きが長くなりましたが、表題の「高次脳機能障害のある方」という言い方にたどり着いた私の中の経緯です。顧問である長谷川幹先生は、特にこの数年「高次脳機能障害の症状以外は普通である」「障害のある人:支援の「受け手」、障害のない人:「支え手」に限定されていないか」「障害がある人に関する審議会では障害のある人々が1/3参画するのを基準に」と話してこられています。当たり前の話だと思いますが、確かに私たちも「あの人は記憶障害だから」「注意障害だから」などと、障害からその方を見てしまう傾向がありませんか?それがその方の一部であるのに、人格すべてを障害のように捉えているような物言いです。たくさんの方々を見てきた中での「慣れ」からかもしれませんが、「高次脳機能障害者は困った人」だけではないですよね。個々の障害については理解を深め、その対応を考えますが、根本となるその方は「高次脳機能障害がある方」であり、「ない」部分も多くあることを今一度しっかりと考えて、言葉遣いにも気を付けていきたいと思います。


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