こーじ通信

No.110 出口治朗さんの記事から
2023年4月

 去る3月22日~24日に、朝日新聞デジタルニュースの『失語症になった出口治明さん』について書かれた記事を読んだ。出口さんといえば、すごい読書家で有名な実業家というぐらいしか知らなかった。日本生命保険会社を定年間近に辞めて、2008年にはライフネット生命保険会社を開業。このオンライン専門の生命保険会社の経営を軌道に乗せて、2018年には、立命館アジア太平洋大学(APU)第四代学長に就任していた。
 記事によれば、2021年1月に左被殻出血。年齢などを考え、手術をしない方針がとられたが、失語症や右半身麻痺の後遺症が残った、とのこと。倒れる直前まで、大学の新学部開設に向けて忙しくしていたそうで、残してきた仕事が気がかりだったという。リハビリ専門の病院に転院後、リハビリの最終的な目標を「学長の仕事への復帰」に置くことが決まった。奥さんも「世の中に求められているのは、この人の言葉です」と伝えたという。
 当初は回復期リハで決められている1日3時間を、理学療法80分、言語聴覚療法を60分、作業療法を40分の配分。「一人で歩きたい」との強い思いから、1カ月ほどすると、車椅子への乗り移りや着替え、トイレまで移動して用を足すことは、スタッフの見守りや介助つきで出来るようになった。
 しかし「言葉」が遅れていた。スタッフは残すリハビリ期間3か月を「優先すべきは、『言葉』の獲得ではないか」という方針に。出口さんは、言葉を使えるようになるためには、歩くことはあきらめなければならないという究極の選択を迫られた。常に「目標を達成するためには、何をするのが最適か」を考えてきた出口さん、悩んだのは1秒くらい。すぐに頷いて、同意したそうだ。
 出口さんは、話すことが難しい「ブローカ失語」、理解出来ても言葉が出てこない。STは「全体構造法」を選択したという。この療法は、赤ちゃんが人間の言葉を学んでいく過程をたどっていくようなイメージだ。まずは「あ・い・う・え・お」の母音について、しっかりと意思をもって自由自在に発声できるようにする訓練から始めた。さらに本人は、自ら残りの時間を「奥の細道」や「枕草子」の書き写しも日課に入れ、左手で書く力は飛躍的に伸び、関係者を驚かせたという。
 退院後、訪問リハやオンラインリハ、1日あたり6~7時間、時間さえあれば、家族に話しかけたり、声を出したりして過ごしたそうだ。そして今、なんと復職しておられる。しかも単身で別府に戻られ、電動車椅子で移動し、学務に就かれている。驚異的な回復、その根底には強い意志と信念。
 すごい人がいるものだ。受傷後すでに10冊以上の本を出版している。その一冊を私も今読んでいる。


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